市民大学バス見学
創作機動部隊 episode.26
町田の史跡などを見学
先週金曜日の10月16日に私、窓井は。
町田市民大学のバス見学で町田のあちこちを見学していました。
現在私が受講している今期の「まちだ市民大学 HATS 町田の歴史」は。
「祈りの形」をテーマにしているため、見学した場所もそういった内容になっていました。
では、行った場所を紹介すると。
まずは忠生地区にある忠魂碑です。
これは主に明治以降の戦没者や戦争犠牲者の供養のために建てられた供養塔で。
慰霊塔の傍には町田の各地域の忠魂塔などが集められています。
私個人としては。
この慰霊塔の隣にある「かぶと塚公園」の名称の由来が。
平治の乱で敗れた源義賢の軍と、それを追跡した源義平の軍の戦いによる戦死者を供養するための塚である事や。
忠生という地名が新田義貞の身代わりに討死した小山田高家という忠臣が生まれた地という所からついた名称であることなど。
この地域と戦死者の供養には何らかの縁があるのでは? とも考えています。
次の場所は小山にある田端環状積石遺構です。
これについては、このブログでも何度か紹介していて。
例えばかつて私が受講した市民大学の見学ツアーの記事や。
昨年の冬至にここに来た記事などで取り上げていたりします。
次は同じ小山地区にある久保ヶ谷横穴墓で。
この写真の横穴墓はレプリカなのですが。
私個人としては今回ここに初めて来たので。
公園の中にこういったものがある事自体にとても興味を持つとともに。
こういった歴史に関するものが身近にある事は。
人々が歴史に興味を持つ事に繋がったりするのでは? とも考えました。
こちらは上小山田にある養樹院です。
ここは曹洞宗のお寺で、当然祈りに関するものは数多くあるのですが。
今回は中でも、岩船地蔵というものを中心に紹介されていました。
この信仰は享保4年から10年の約7年に関東一帯に広まっていたものらしいのですが。
そういったものが町田市内にも残っているという事に個人的には興味を持ちました。
ちなみに、ここの岩船地蔵は船の上にあった地蔵尊が無くなってしまったらしく。
代わりに観音像が乗っていたりします。
そして下小山田の大泉寺です。
ここにも様々な祈りに関するものがあるのですが。
町田の歴史としてよく知られているのは、ここにかつて存在した小山田城を築城した小山田有重や、彼の五男行重。
そして、南北朝時代に新田義貞の身代わりとなり討死したという高家のお墓が、現在も大泉寺の墓地にある事でしょうか?
ちなみに、その小山田高家が討死したという神戸市東灘区にある処女塚古墳に。
私は今年1月に、実際に足を運んでいます。
大泉寺を見学し、昼食をとった後に向かったのは考古資料室です。
ここでは主に縄文時代の遺物、遺跡についての説明を受けました。
私個人としては写真に載せた縄文土器が気に入っていまして。
この土器は以前、ポスターを描いた際にもモチーフに使ったりしていました。
そしてその後に向かったのは三輪地区にある西谷戸横穴墓群で。
ここは普段はフェンスに囲われている上、お墓の入り口も閉じているので、中を見ることはできないのですが。
今回は特別に、内部まで見ることができました。
写真だとこのような感じの場所なのですが。
実際に入ってみると、お墓である為か何か不思議な感じがして、これは貴重な体験だったと思います。
そして、最後に向かったのが三輪地区の熊野神社でした。
ここで私個人として気になったものは、蚕蛹供養塔で。
何故なら私が制作している『超伝神トライブレイバー』でも養蚕については扱う予定で。
その中の登場人物の一人、桑林識句に「先祖が蚕霊供養の儀式を司っていたらしい」という設定があるため、そういった供養塔を探していたから。
という事情があったりします。
と、このような形で今回は。
町田市内の様々な、祈りに関する史跡などを見学していました。
今回、私としては初めて行った場所もあり。
また、これまでも行っていた場所に関しても、新たな知識を得たりしたので。
今後はこれらの経験もまた、作品に生かしていければ……と、考えています。