成瀬付近を歩く
創作機動部隊 episode.34
成瀬の歴史あれこれ
前回の記事より1日前の話になるのですが。
私、創作起動部隊の窓井来足*1は、今月10日に。
町田市成瀬付近を散策してきました。
まず今回行ったのは成瀬城跡で。
この成瀬城というのはあまり詳細がわからない城なのですが。
一説には平安末期から鎌倉初期にかけて横山党の鳴瀬四郎太郎の館があった場所に。
横山党没落後に城が建てられたのではないかという事のようです。
次に、向かったのは東雲寺で。
ここには町田で最も古いとされる奈良時代の仏像である誕生釈迦仏立像があり。
更に、ペリーから国書を受け取った浦賀奉行の一人。
井戸弘道とその妻のお墓があります。
誕生釈迦仏立像については。
通常は右手で天を指しているのが、この像では左手で天を指していて。
これは日本では5体ほどしか確認されていないという事でした。
井戸弘道に関しては。
『町田の民話と伝承』の第一集に。
「ペリーと会見した井戸石見守」という話として収録されているのですが。
黒船やペリーといえば、日本史の中でも有名な事件なので。
私の制作している『超伝神トライブレイバー』でも何かの際に扱いたいと思い。
例えば「海外からヒーローがやってきたのに対応する話」などをやった際に。
このエピソードを話題に挙げたりできないかと考えています。
その後、成瀬クリーンセンター付近に向かい。
この周辺にある石造物を多数見てきたのですが。
今回、特に気になったのが日露戦争で戦死した中里好治という人物のお墓と。
享保の頃に処刑された原嶋源右衛門の供養碑で。
中里好治については。
今年受講していた市民大学でも扱われていて。
文学青年が優秀だったが為に戦場に行くことになり戦死したという話が。
個人的には興味深かったこともあって今回足を運んでいて。
原嶋源右衛門に関しては『町田の民話と伝承』に載っているエピソードだと。
何故義民なのかがわからなかったので調べに向かったのですが。
どうやら、役人側からすると「境界争いの際、境界線を偽った」という事になっていて。
しかし、現地の看板などによると「見せしめのために処刑された」という話で。
私個人としては、資料も少ない事もあって。
この件に関してはあまり詳しくは言えないですが。
ただ、一方的な視点だけで歴史を考える事は、問題があるのではないか?
と、今回の件で改めて考えたというのはあります。
また、地元の歴史を『トライブレイバー』で描く際に。
時代の中で犠牲になった人々について触れないのは良くないのではないかとも考えていて。
この辺りをどうやって物語に加えるか……というのもあります。*2
と、今回はこのような形で成瀬付近を散策してきました。
今後も、町田市内の散策は続け、それをブログでも紹介していく予定なので。
その際は是非よろしくお願いします。