札次神社と蚕種石
町の歴史についてを
キャララクターによる解説で
初めまして。桑林識句*1といいます。
この記事を読んでいる読者にとって、私は『超伝神トライブレイバー』のキャラクターという扱いになるのでしょうか?
どうやら今後、キャラクター視点での町田市の紹介などをしていこうという話なので。
私を含めた〈読者から見たらキャラクター〉である人達がこういった記事を書く機会も増えるかと思います。
さて、そんなキャラクターの中で今回、この記事の執筆を主人公ではなく私が頼まれた理由は。
〈私が高校で文芸部に入っている事〉と〈家の関係で養蚕に詳しい事〉のようです。
とはいえ。文芸部で書いているのはファンタジー小説で観光案内ではない*2ですし。
養蚕に詳しいのはあくまで祖母からそういった話を聞いていたというだけで、私自身が詳しく調べたというわけではないので。
神社の紹介記事として、質の良い記事が書けているかは多少自信がないのですが……頼まれた以上はやろうかと思っています。
さて。では今回紹介を頼まれたのは小山にある札次神社です。
祭神は 武甕雷命。創建年代は不詳。ただ寛文六年(1666)の検地時に札次大明神の朱印領高二石二斗を受けているそうです。
昭和26年(1951)津島神社と八坂神社を合社したともあります。
この神社には町田名木百選に選ばれているシラカシとヤマサクラがあるのですが。
今回、この神社で紹介したいのは〈蚕種石〉でしょうか? 私が担当を任されたという事はそうだと思うのですが。
この〈蚕種石〉は〈子種石〉とも言い。
今持っている資料『町田の民話と伝承 第一集』だと常陸国(茨城県)の武将、島崎氏が戦国時代に小山に土着する際に持ってきた石で。
伝承だと子孫繁栄の側面が書かれているのですが。
いつから養蚕信仰と結びついたかについては私の読んだ伝承には書かれていませんでした。
ですが、同じ本に相原にある〈蚕種石〉の由来は書かれていて。
この2つに関連性はあるのか、無いのかはわかりませんが。
相原の方の〈蚕種石〉は八十八夜が近づくと緑色になり。
蚕のはきたての準備を知らせたとあります。
話は札次神社の〈蚕種石〉の方になりますが。
その鹿島神宮をを勧請したものが札次神社なので。
関連があるのか、気になるところです。
また、この島崎家出身の人物に。
天然理心流剣術3代目宗家で新選組局長近藤勇の養父でもある近藤周助がいます。
近藤勇については町田市だと小野路に出稽古に来ており。
その際の骸骨の刺繍入りの稽古着なども残っているのですが。
この辺りは調べると面白いかと思います。
さて。今回の神社の紹介はこの辺りにしたいと思いますが。
この記事を書くにあたって、資料を読んでいた自分自身がもっと調べたいと思っていて。
仮に私達がローカルヒーローとして地元の面白さを伝えるならば。
この「一つの事を調べると、それに繋がって他の事にも興味を持つ」という面白さを伝えられれば。
結果的に多くの人に地元について深く興味を持ってもらえるのではないか?
とも思っています。
では、次回また何かの機会に記事を執筆することがあれば。
よろしくお願いします。
(この記事を書いている桑林識句は架空の人物ですが、神社の由来などに関しては実際の資料を調べた上で書いています)